4. 第二日目

 いよいよ観光が本格的にスタートする時だ。ホテルの前にこれから何日間も一緒に走って行くバスがショーアップする。スーツケースはホテルのポーターがバスへ積み込んでくれているから、手荷物だけを持ってバスに乗り込む。この時、高いツアーならスルーガイドと言って、これから何日間もお客と同じホテルに泊まりながらグループをエスコートして行くガイド(筆者のやっていた職業)もバスに乗り込む。安いツアーでは添乗員がガイドの役割も果たさねばならず、はっきり言ってこれは添乗員にとって気の毒な事だ。添乗員とガイドというのは全然職種の違うもので、その二役を添乗員に求めるのはいささか大変過ぎるし、又、市販のガイドブックに載っている事に毛の生えた程度の知識しかない添乗員にガイドされるお客はもっと気の毒だ。現地の情報と言う意味では、例え何百回も添乗に来ているベテランであろうと、現地に住んでいる人間にかなう訳がない。ましてやプロテンの世界は出入りが激しいので、ベテランと呼べる人は少ないのが現状だ。大部分は口のきき方も満足に知らないギャルがやっているので、「右側に見えるのは古い教会です、左のは新しい教会です」的なとんでもない説明になってしまう。問題の多い旅行業界の中で、一番に取り組まなければならないのがこの添乗員の質の向上である事は間違いない。

 さて、バスが出発した。まず最初なので車内ではバス移動に関する色々な注意事項が説明される訳だが、その中でバスの一番前の座席には座らないで欲しいと言われる事だろう。理由は万一バスが何らかの事故に巻き込まれた場合に、お客に怪我があっても一切保険の対象にならない、と説明される。筆者もこう説明していた訳だが、実はこれは根も葉もない嘘である。例えバスの最前列に座っていて事故に遭遇しても、バス会社が加入している乗客保険、団体旅行に付帯する傷害保険のいずれも適用されるのでご心配なく。ただ、確かに最前列に座っていて事故に遭うと、遮るものがないだけに怪我をする率が非常に高いので座らせない事に申し合わせている。その他にもドイツの場合はバスの中にアイスクリームやフライドポテトを持ち込んではならない、とか、車中で出たゴミは自分で外のゴミ箱に捨てろ、とか、バスに乗る時には靴の汚れを落としてから乗れ、とか、バスのトイレは安全上の理由から使用禁止、とか、様々な注意事項がそれらしい理由と共に説明される。確かにそれは守らなければならない事なのだが、要はドライバーが嫌がる行為をしないで欲しい、という事なのだ。(特に掃除に関しては自分の担当するバスは全部自分でやらなければならない)筆者の様なスルーガイドがツアー中一番気を遣っているのは、お客でも添乗員でもなく、実はドライバーになのだ。日本もそうだが、ドイツも一般的にドライバーの質が非常に悪い(例外は存在するが)。何もドライバーに限った事ではないが、ヨーロッパ、特にドイツではサービスを受ける側よりサービスを提供する側の方が立場が上と考える傾向がある。従ってドライバーもお客を乗せて運転してやっているんだ、というスタンスで接して来るので、何か気に入らない事があるとすぐにヘソを曲げてしまってこちらの言う事を聞かなくなってしまう。いくら現場で頼んでも予め渡された日程表上に記載された事以外は絶対にやろうとしないし、約束した時間にお客が戻って来なくて待たしたり、車内を汚そうものなら完全にへそを曲げてしまってツアーがボロボロになってしまう。言う事を聞かないだけならまだしも、トイレ休憩を頼んでも無視する、荷物をちゃんと積み込まない、わざと約束した時間に迎えに来ないなどの嫌がらせが始まる訳で、こういった事情を全く知らない添乗員やお客が日本的に「俺達は客だ」みたいな態度を取るとその先どうなるかは説明するまでもない。いくらドイツだって客は客なんだから、筆者もこれが当たり前などどは考えていないが、いくら筆者だけが声高に叫んでみたところで、空回りするだけで一向に解決しない。それどころか、一度などは客に対してあまりに許せない態度を取ったドライバーがいたので、ツアーの途中で彼を帰して別のドライバーをよこす様に手配会社に緊急連絡をした事があった。その時はすぐに別のドライバーが来て、ツアー自体は何の被害も被らなかったが、後日その問題あるドライバーを抱えるドイチェツーリングというバス会社から手配会社へ通知書が届いた。それには二度と筆者は同社のバスに乗らせない、筆者に今後もツアーを担当させるなら、その手配会社の仕事は二度と受け付けない、と書かれていた。これなどは会社ぐるみで客を客と思っていない事の証明である。そしてすぐに手配会社からは筆者に対してこのバス会社に詫びを入れる様に要請があった。筆者だって自分に落ち度があったのなら素直に謝るが、この事件に関しては間違った事をしたつもりはないので、その謝罪要請を突っぱねた。結果、筆者はその手配会社の仕事を一切出来なくなった。お判り頂けたであろうか?バス会社の対応も信じられなければ、そういった不利尽な一方的な通知に対して、本来お客の権利保護に努め、主張すべき事は主張しなければならない筈の手配会社も一緒になってこういった風潮を助長している。筆者としてはツアーがボロボロになってその手配会社の信用が失墜するのを防いだつもりが、恩をアダで返される結果となった。これ以上書くと単なる愚痴になってしまうが、この事件が筆者に旅行業界を辞める事を決心させた一つのファクターであった事は間違いない。

 話を進めよう。フランクフルトからライン下りの船着き場の街、リューデスハイムまでは約1時間の距離である。ここでバスから観光船に乗り換えて、約2時間の船の旅を楽しむ。クルーズに使用する観光船はだいたい1,500人から2,000人乗りの大きなものだ。このライン下りの観光船は毎年4月から10月までの半年しか運行していないので、特に夏場は日本人だけではなく世界各国からの観光客でごった返している。しかし例によって日本人団体客の行動パターンはほとんど決まっているので、同じ出発時間の船にたくさんのグループが殺到する。筆者もお陰様で300回以上ライン下りをさせて頂いたが、その内何回かはその大きな観光船に日本人しか乗っていないという光景に出くわした事がある。
 2時間後、ローレライの崖を過ぎた先にあるザンクトゴアルスハウゼンにて下船、昼食後再びバスに乗ってハイデルベルクへ向かう。ザンクトゴアルスハウゼンからハイデルベルクまでは約2時間20分の道のりだ。

 ハイデルベルクはドイツで一番古い(1356年創立)大学がある学生の街である。有名な戯曲「アルトハイデルヘルク」で世界的にも有名なこの小さな街にも、世界中から観光客が殺到する。崩れかけた古い城と石畳が続く旧市街の雰囲気は、いかにも旅行雑誌の特集になりそうな日本人向けの街である。ただ、筆者は個人的にこの街は嫌いである。何故かと言うと、別にハイデルベルクにに限った事でもないのだが、ドイツは観光地なのに観光客に対する締めつけが厳しい事が多い。筆者は特にこの街でそれを感じる。例えば山の上にあるお城までバスで登れる様になっているのだが、土日と祝祭日はバスの乗り入れが原則禁止されていたり、街で唯一の観光バス駐車場にしても、バスを停めてもいい時間は十五分まで、などなど、しかもこれらの規制は年々厳しくなって来ている。確かに観光地と言えども地元には地元の生活があるのは判るが、もう少し観光客に対して「フレンドリー」に接してくれても良さそうなものだ。全体的にドイツはこの認識に乏しい。現在、ドイツ経済の中で占める観光収入は決して少なくないのだが、国民の中には自分達の国は工業国だ、という意識が非常に強く、間違っても自分達の国が観光収入によってだいぶ潤っているなどとは夢にも思っていない。しかしそれがすぐ隣のスイスへ行くと状況が一変する。スイス国民は自分達の国が観光収入で成り立っているのを良く認識しているので、観光客に対して非常にフレンドリーである。中には「スイス人の心はお金で出来ている」と言う人もいるが、それでもドイツに比べればよっぽどましだ。
 それとこのハイデルベルクには快適なホテルが少ないのがもう一つの理由だ。設備的にまともなホテルは三カ所だけ、しかしそれらのホテルの内の二カ所は従業員の態度がひどく、完全に観光客ズレしてしまっている。ドイツのホテルにまともな所が少ないのは前にも述べたが、ハイデルベルクは中でもちょっとひどいと筆者は感じている。