6. 第四日目

 今日はホテルを出発して、まずドイツで一番美しいお城、ノイシュヴァンシュタイン城へ向かう。ミュンヘンから2時間程走ったオーストリアとの国境近く、美しいアルプスの麓の景色が広がるシュヴァンガウという地域にこのお城は建っている。かつてのバイエルン王国の悲劇の王、ルードヴィッヒ二世が建てた三つのお城の中でも、最も規模が大きく、又、最も美しいお城である。着工が明治4年、そして王の死によって工事が中断されたのが明治21年、築ン百年という建物の多いドイツでは、比較的新しい建物と言える。
 ここは文句なくドイツ観光のハイライトと言えるだろう。ここにやって来る観光客は日本人ばかりではなく、ドイツ人観光客が多いのが特徴である。であるから、夏場はもの凄く混雑する。特にヨーロッパ人が休暇に入る6月から9月までの間は、平日休日を問わず殺人的な混雑ぶりを呈する。この城は見学者を50人から60人程度のグループに区切って、7〜8分おきに順次入場させていくシステムの為、入城待ちの観光客の長蛇の列が出来上がる。ちなみに筆者が待たされた最高記録は四時間半である。  誰だって待つのは嫌である。しかしただでさえ時間がない日本人団体客にとっては深刻な問題だ。ここで何時間も浪費したら、その日のホテル到着が深夜になってしまうからだ。そこでプロテンや地元のガイドは色々な手を考える。まず誰でも考える事だが、なるべく早く行こうとする。開館時間の午前9時前の到着を目指して、ミュンヘンのホテルを7時前に出て行くグループが多い。しかし、これはほとんど意味がない。何故なら、日本人が考える事は皆同じだからだ。午前5時台にモーニングコールを入れ、朝食もそこそこにかっ飛んで行ってみると、まだ開館前なのにお城の前には既に数百人の日本人が並んでいたりする。
 筆者が担当するツアーでは、飛行機の出発時間などの制約によって止むを得ない場合を除き、モーニングコールの時間を午前5時台に設定するなどという非常識な事は絶対にやらなかった。お客は旅行に来ているのであって、普段仕事に行く時に起きる時間よりも早く起こすという事はすべきでないと考えているからだ。  次に入城整理係の人間を買収しようと考える。これは実は日常茶飯事的に行われ、筆者もよくやっていた方法だ。買収と言ってもモギリの人間に十マルク程度を手渡すという他愛のないものである。長蛇の列をかき分けて先頭まで行って、モギリの人間に袖の下を渡しながら少しでも早く入城させてもらえる様に頼むのだ。この城の中の代表的な部屋にはPAシステムが取り付けられていて、日本人には日本語の録音で説明を聞かせてくれる様になっている。昔は擦り切れたカセットだった為に音質がすこぶる悪かったが、最近CDによるデジタル録音に変わった為、音質は格段に向上した(ちなみにこの城で採用されているPAシステムは日本製である)ものの、これの吹き込みをミュンヘン在住二十数年という日本人女性ガイドが担当した為、所々もう日本語がおかしくなっていて、失笑を買ってしまうものである。まあそれはいいとして、こういう理由により日本人は日本人だけで一つのグループを作って入城させている為に、この「日本人向けの回」を一刻も早くやってもらいに頼みに行くのだ。うまくいくと並んでいる欧米人を尻目に、後から後から日本人が列を飛び越えて入城する事になる。
 正直に言うと、実は筆者もここでどれだけ早く入城するかに腐心していた時期があった。と言うのも、まだ馴れない新人の頃、そんな袖の下システムがあるなどとは夢にも思わなかった純真な筆者は、真面目に並んで待って、ようやく自分達の順番が来た時に、モギリの係員から意地悪されて大喧嘩した事がある。筆者らのグループの前に他の日本人グループが何グループかいて、それらが先に入城したのに続いて筆者らのグループも入ろうとした、その時のグループは二十数人だった筈だが、半分位が入城した所で入口の鉄の門を閉められてしまったのだ。同じグループが分断されるとその先が大変になるので、筆者は係員に頼んだ。しかし係員は「もう中が一杯だから」という理由で残りのお客を入れてはくれなかった。残りと言ってもあと十人程度である。筆者は必死に頼んだが係員は取りつく島を与えない。そこで筆者は「なら、先に入った半分のお客を戻して、次の回でいいから全員一度に入りたい」と申し出たが、「一度入った者を出す訳にはいかない」と係員は慇懃な態度で筆者にのたまった。その態度に切れてしまった筆者は「何も次の回でいいって言ってるんだからいいじゃないか!」とかなりの調子で噛みついたら、その係員はいきなり筆者の胸ぐらを掴むと、壁に勢い良く押しつけて「勝手な事をするんならすぐに出て行け!」と非常出口を指さしながら怒鳴った。その拍子に筆者は頭を壁でしこたま打ったので完全に切れてしまい、持っていた鞄を床に叩きつけて日本語でその係員に罵声を浴びせると、お客に出口で待っている旨を伝えて城を出た。何が何だか判らずにポカンとしているお客を残して自分だけ出て行くのは気が引けたが、事の成り行き上止むを得なかった。そしてしばらく筆者が外の出口で待っていると、やがて筆者のお客がまとまって出て来た。お客に聞いた所では、筆者が出て行ってしばらくしてから、あの係員は黙って扉を開け、残りのお客を入れてくれたのだそうだ。これなどは、モギリの係員に袖の下を渡さなかった為に意地悪されただけなのだ。
 この事件があって以来、筆者は例え自腹を切ってでも袖の下を渡す事にした。お客の前で大立ち回りを演じるのはいささかプロらしくないし、こんなくだらない事でエネルギーを消費するのも無駄だと思ったからだ。次にその係員に会った時には、思いきりニコニコしながら袖の下を渡した。最初まだ遠くで筆者の顔を見た係員は何か気まずそうな表情をしていたが、袖の下を渡すとこれが先日と同一人物とは思えない程丁寧に案内してくれた。
 雨降って地固まる、とでも言うのか、この事件があって以来、筆者は妙にこの城の係員達と仲良くなってしまい、しまいには相当の無理も聞いてもらえる様になったばかりか、シーズンオフで混んでいない時には、普段一般公開されていない部屋まで見せてくれたり、一般客には見せてもくれない料理運搬用の手動エレベーターを操作させてもらったりと、結構楽しませて頂いた。きっと遠くから並んでいる筆者の顔を見つけると、十マルク札がやって来たと思っていたのだろう。

 いつも面白い様に順番を飛び越す事が出来た筆者だったが、2年前位に強引に先回りするのを止めた。相変わらず袖の下は毎回渡していたが、それは挨拶代わりというだけで、追い抜きの依頼はしない事にした。何だか僅か30分やそこいらを短縮するのに、人間として恥ずべき行為をしていた自分に嫌気がさしたからだ。双方に責任があるとは言え、姑息な手段を平気で使って、自分達さえ良ければそれでいい、という日本的感覚は捨てる事にした。確かに以前よりも待たされる時間は長くなったが、しかし以前の様に周囲の欧米人の顰蹙を買う事も同時になくなり、何だか一回り大きな人間になれた気がする。何だかんだと合計三百回以上も行ったノイシュヴァンシュタイン城、もう二度と行かないと思うが、筆者には忘れられない場所の一つである。

 今日の午後はドイツを出国して、オーストリア、リヒテンシュタインを経由してスイスへと向かう。陸上に国境のない日本に住んでいる者にとって、バスで国境を越えて行くというのはとても興味深い体験である。  まずノイシュヴァンシュタイン城を出発して約2時間、オーストリアとの国境である、リンダウのヘルブランツ国境検問所へ向かう。1994年まではオーストリアがEUに加盟していなかった為に、ここでは通関手続きがきちんと行われていたが、1995年からこの手続きが一切なくなり、検問所はそのまま残っているものの、何の手続きもなくあっけなくドイツを出国し、オーストリアへ入国する。この検問所を通過するとすぐにアルプス前山の下をくり抜いた全長6.3キロという長いトンネルに入る。冬ならば正に川端康成の世界が展開する訳で、このトンネルを抜けた先が本当のオーストリアなのである。そして30分後、今度はオーストリアを出国してリヒテンシュタインへ入国となる。
 リヒテンシュタインは国家としての形態を整えた世界最小の国で、面積は世田谷区の二倍程度、総人口も28,000人強という本当に小さな国である。しかし国民一人当たりの所得が世界一であり、つまり世界で一番裕福な国である訳だ。現在リヒテンシュタインはスイスと通貨関税同盟を締結している為、リヒテンシュタインの入国は、スイスに入国するのと同じ手続きになる。通常はこのリヒテンシュタインの首都ファドゥーツで休憩を取る。お客は思い思いに時計のショッピングやら切手の購入に走って行くが、このファドゥーツの観光案内所では、有料でパスポートに公式入国スタンプを押してくれる。出入国スタンプのほとんどないヨーロッパに於いて、滅多にないチャンスである為に大抵の日本人はスタンプを欲しがる。ひどい場合にはパスポートに日本出国と日本帰国しかスタンプが押されない為、どこへ行ったのか判らないパスポートになるのがヨーロッパ旅行の特徴である。何を隠そう、筆者も日本人のはしくれ、ここへ行く度にスタンプをもらっていたので、筆者のパスポートはリヒテンシュタインだらけになっている。実はこのスタンプ、一回押すのに約150円程度かかるのだが、大抵の団体客はお金を払わなくて済む。何故かと言うと、この街に着くなり添乗員なりガイドが、まず有名な時計屋さんに案内するだろう。実はこの時計屋さんが送客のお礼にスタンプ代を払ってくれているのである。お土産物屋さんの問題に関しては後ほど詳しく述べようと思うが、この様にお客の知らない所でお客のメリットになっている場合もある。

 リヒテンシュタインとスイスとの国境にはライン川が流れている。ドイツを流れているライン川の遥か上流になるのだが、水の色が全く異なるので言わなければ気づかない人も多い。丁度橋の真ん中の所に国旗の看板が立っていて、これを越えるといよいよスイス入国となる。入国手続きは先程リヒテンシュタインに入国する所で済ませているので、ここでは何の手続きも、検問所すらない。眼前に迫る二千メートル級の山々が連なる麓の、湖の畔をドライブすること約2時間半、スイスの古都ルツェルンを経由して、更に峠を二つ越えるといよいよアルペンリゾートのインターラーケンに到着である。

 スイス最初の夕食は、必ずスイス名物ミートフォンデュと決まっている。もちろん日本でも有名なのでご存知の方も多いと思うが、牛肉の小間切れを串に刺して、目の前でグラグラ煮立っているオリーブオイルで揚げてから好みのソースをつけて食べる、言わば西洋しゃぶしゃぶである。これが結構デインジャラスな料理で、テーブルを囲む何人かで一斉に肉をオイルにつけると、油がはねて火傷するのである。眼鏡をかけている方は問題ないが、裸眼の方は特に要注意である。そう言えばこの料理にも忘れられない思い出がある。
 その日も街のレストランでお客と共にミートフォンデュを食べていた。そのレストランは結構広くて、筆者のお客全てのテーブルに目が届かなかったのだが、料理も一通り始まった段階で、筆者はお客のテーブルを見回りに行った。すると一番奥の、丁度角になって死角になっていたテーブルのお客が、何と全員出された牛肉を生のまま食べているではないか。これは筆者の大失敗の一つである。当然知っているだろうと思って、事前にお客に食べ方を説明しなかった為、そのテーブルのお客は他のテーブルが見えない位置にいた事も手伝って、出された肉を素直にそのままナイフとフォークを使って食べていたのだ。当然目の前にはグラグラ煮立つ油の鍋もあるのだが、これはきっと後で何か別のものに使うのだと思ったらしい。まあ牛肉だから生で食べても問題ないが、この時はお客を傷つけない様に笑うに笑えず、非常に困った経験がある。
 もう一つのスイス名物に、チーズフォンデュというのもあるのをご存知だろう。これは同じく小間切れにしたフランスパンを串に刺して、ゴーダチーズを白ワインで溶いた鍋につけて食べるものである。グラグラ煮立つチーズとフランスパン、という取り合わせ自体はいいのだが、時間が経つにつれてチーズの苦味とワインの渋みだけが強調されてきて、少なくても筆者はあまり美味しいとは思わなかった。一度東京でこの料理を食べた事があるが、その時の方がよっぽど美味しく、同席していた友人も同様の感想であった。一体何が違うのか筆者は知らないが、日本で食べるドイツ料理の方が数段美味しいのと同じで、現地のオリジナルよりも、やはり日本人の繊細な味覚に合わせて作られたものの方が、日本人には美味しく感じられる様だ。