7. 第五日目

 今日はスイス観光のハイライト、ベルナーオーバーラント三山の一つ、ユングフラウへの登頂である。山に登るという事で、服装に気をつけて心配して来るお客が非常に多いのだが、例え真冬でも、本当に寒い思いをするのはほんの一瞬の事なので、そう大袈裟に考える必要は全くない。筆者などは真冬でも街を歩く格好のまま登っていた位である。それよりも急性高山病に気をつけて欲しい。ユングフラウへの登山は、片道約二時間の登山電車に乗って行う。終着駅のユングフラウヨッホ駅は標高3,545メートル、ほぼ富士山の九合目である。この高さまで僅か2時間で行くと、ほとんどのお客はめまい、息苦しさ、動悸息切れ、腸の膨張感などの高山病独特の症状を味わう事になる。それもその筈、頂上には空気中の酸素が麓の3分の2しかないのだ。頂上で走ったり、大きな声を出したり、酒を飲んだりすると、とても麓では味わえない酩酊感を体験出来る。この急性高山病にかかる、かからない、又、症状の重さは人によって千差万別なのだが、筆者の経験からすると、どうも男性より女性の方が弱いみたいである。筆者のお客も何人も上で倒れた人がいる。幸いどれも大事には至らなかったが、あまり症状が重いと、駅舎の三階にある救急処置室で酸素吸入を施す。それでも症状が回復せず、専任の医師が生命の危険を判断した場合は、ヘリコプターで麓の病院まで移送する事になる。筆者は何度も頂上からヘリコプターが飛び立つのを見た事があるので、中にはそこまでいってしまう人も結構いるらしい。たまたま筆者はここの医師と話す機会があったのだが、ほとんどの人は急激に血糖値が低下しているので、おかしいと感じたら角砂糖を食べるといい、と教えられた。それ以来、筆者のお客には、朝、ホテルの朝食会場から各自に角砂糖を持って行かせる事にしていた。これから行かれる方も、是非お試し頂きたい。
 尚、頂上のユングフラウヨッホ駅のカフェには、名物の「ユングフラウコーヒー」というのがある。実は筆者も素人の頃、これを飲んだのだが、このコーヒーにはリキュールが大量に入っていて、体格の大きい欧米人ならともかく、華奢な日本人が飲むと一発で酩酊状態になる代物である。ここではぶつ切りのチョコレートをかじりながら、ブラックコーヒーを飲む正統なスイススタイルに留めておいた方がいい。

 さて無事に下山し、これからジュネーブまでは約三時間半の長距離移動となる。途中フリブールで言語国境を通過するが、ここから先はフランス語圏である。言語国境と言っても別に検問所がある訳ではなく、ただ看板が立っているだけであるが、高速道路の出口の標識が、今までの「Ausfahrt」というドイツ語から「Sortie」というフランス語に変わるので、一目瞭然である。そのフリブールの少し先のグリュエールのサービスエリアで通常は休憩を取る。ここグリュエールは、日本でもポピュラーなあのグリュエールチーズの産地で、サービスエリアの売店でお土産用の綺麗なパッケージに入ったものも、むき出しの計り売りもしているので、気軽に買う事が出来る。又、このサービスエリアの名物に「グリュエールコーヒー」がある。ここのコーヒーには何の変哲もない少し濃い目のコーヒーと、チョコレートで出来た小さなミルクピッチャーに入ったミルクがついて来る。正しい飲み方は、まずピッチャーの中のミルクをコーヒーにいれ、砂糖は入れずにチョコレートで出来たミルクピッチャーをかじりながらコーヒーをすする、というものである。筆者も最初はミルクピッチャーがチョコレートで出来ている事にすら気づかず、隣の席の人がピッチャーをかじっているのを見て驚いた記憶がある。これはその時の隣のスイス人に聞いた話なので恐らく本当だと思うので、皆様もお試しあれ。

 いよいよジュネーブに到着した。ここまで来ると言葉だけではなく、街の雰囲気ももうフランスのそれである。琵琶湖とほぼ同じ大きさを持つレマン湖の畔に広がる国際都市ジュネーブ。国連のヨーロッパ本部や世界保健機構、万国赤十字社といったそうそうたる国際機関が軒を連ね、日本でもコメ問題の時に一躍有名になったGATTも、日米自動車協議の時に話題になったWTOも、みんなここジュネーブにある。特にその旧GATT、今のWTOの建物は、バスの車窓からでも左側に見る事が出来る。 ジュネーブは雰囲気はいいが街が汚い。このあたりもパリと良く似ている。特に今まで潔癖症のドイツやスイスの山間部を走って来ただけに余計そう感じる。同じフランス語圏にある隣のローザンヌの街がすごく綺麗なのに対照的でもある。今日はここジュネーブの中央駅、コルナバン駅からフランス新幹線TGVに乗ってパリへ向かう。

 コルナバン駅のTGV発着ホームは既にフランス領である。従ってホームに上がる前にフランス入国手続きをしなければならない。ここでも忘れられない事件があった。もう時効だと思うので披露するが、実は筆者のお客の中でルツェルンでパスポートを盗まれたお客がいた。しかしそれが運悪く金曜日の夕方で、再発行を申請するジュネーブの日本国領事館は月曜日の朝まで閉まっている。再発行しなければ次のフランスに行けないし、しかし再発行を待っていたらグループはもうフランスから日本に帰国してしまう、という見事なバッドタイミングであった。この時は正直言って悩んだ。お客はどうしても皆んなと一緒に帰りたいと泣くし、筆者も次のスケジュールの関係から、このお客に付き添ってスイスに残る訳にもいかない。そこで手配会社と相談した上で、一つの作戦を考えた。とにかくパリへ送り出そう、という作戦だ。パリにさえ行ってしまえば、パリの日本国大使館で渡航証明さえ作ってくれれば、皆んなと一緒に日本に帰国する事が出来る。その為にはこのコルナバン駅のイミグレーションを強行突破しなければならない。TGVにさえ乗ってしまえば、前述の通り車内はフランスなので、黙っていてもパリに着く。その時にはこのコルナバン駅に、ジュネーブ在住のベテラン日本人女性ガイドの人に来てもらった。そして彼女がグループを引率して行って、イミグレーションに差し掛かったら、そこの係官に馴れ馴れしく話しかけてもらって、係官がそれに気を取られている隙に、ドドドドッと全員でいっぺんに通過しよう、というものだった。お陰様でこの作戦は見事に成功し、お客は全員車中の人となった。めでたしめでたし。

 話を元に戻して、TGVに乗った。これまた日本人の間では、TGVと言うと何か凄い列車の様な憧れを抱いているみたいだが、実物はどうってことない代物だ。車格は全体的にコンパクトだし、乗り心地はお世辞にも良いとは言えない。確かに最高速度は劣るかもしれないが、これなら日本の新幹線の方がよっぽど優れている、と筆者は思う。
 新幹線と言えば、ドイツでもICE(インターシティーエクスプレス)という新幹線が1991年に開通した。最高速度は同じくTGVには劣るが、試験走行の時には時速408キロを記録し、営業速度は280キロで行われている。デザインもドイツらしくないモダンなもので、確かに一見優れている様に見える。これが開通した当初は、日本のJR東日本から副社長を始め幹部の方々、そして技術部門の多くの方々が視察にやって来た。筆者も開通二日目に副社長に同伴して乗ったのを始め、技術の方々とも何回もICEに乗った。しかしこのICEは、そのほとんどを在来線の線路を共有して運行している。現在では専用線もだいぶ出来て来たが、まだまだ全線専用線になるのには程遠い。こんな調子だから開通当初はほとんどが在来線の線路を共有していた。だからいくらICEが速く走っても、前方にノロい在来線がいたら減速せざるを得ない。駅を出ると凄い勢いで加速していくのだが、しばらくすると急減速し、時々は畑の中で停まってしまう。そして又凄い加速をしたかと思ったら急ブレーキ、みたいな事を繰り返しているのだから、全体としてはちっとも速くない。おまけに古い在来線の線路を使用しているので、乗り心地がすこぶる悪い。これは当時JRの技術の方から聞いた話だが、日本の新幹線というのは、設計する時点での技術目標として、車内に立てた一本のタバコが倒れない様にする、というのが基本なのだそうだ。もちろん営業運転が始まって何年もすれば、揺れが激しくなってしまうのだそうだが、あくまで開通当初はそこまで追求しているらしい。ところがドイツのICEは開通当初から、紙コップに入ったコーヒーがこぼれる程揺れた。又、副社長と一緒に乗った時には、まだ開通二日目だった事もあり、あんまり油が馴染んでいなかったらしく、シートのリクライニング機構が働かなかった。「シートが倒れないのだが」と副社長に言われた筆者は、シートの背を押してみた。しかし本当にビクともしない。そこで座る方の部分を手前に引っ張ってみたら、何とそのまま座席がもげてしまい、全員で大笑いして、そして慌てて逃げた記憶がある。この時に来られたJRの方々は、一様に「な〜んだ、こんなものか」という感想を抱いて帰られた。

 TGVに乗り込む時に積み込んだおいしい幕の内弁当を車内で食べながら、約3時間20分走ると、そこは花の都パリである。TGVはほぼ定刻に、パリのリヨン駅に到着した。