4. お客の資格

 まず、旅行代金の内訳を考えて頂きたい。通常のパッケージツアーの代金の中には、航空券・ホテル・レストラン・バス・列車・ガイド・現地アシスタント・ポーター・添乗員人件費・日本以外の空港使用税・営業利益などが含まれている。この中で一番のウエイトを占めているのは、何と言っても航空券であろう。何度も言う様に、航空券の価格は一般人にはわからないシステムになっているが、筆者の知る限り、これでも各航空会社はギリギリの価格設定をしている。異常に高い日本の空港発着料、価格が不安定な航空機燃料、高騰する人件費、シップの減価償却費などから考えて、一機のジャンボ機が、日本〜ヨーロッパを往復する際にかかる実費を座席数で割ってみると、航空券の価格は決して高いとは言えない事がわかる。これ以上値下げするなら、運航の安全性に支障をきたしかねないので、現状が最低水準だと筆者は考える。
 航空券以外のファクターに関しても、既に大量仕入れによる価格の低下は限界にまで達しており、これまた現状が最低水準だと考える。その上、営業利益もほとんど乗せていないのだから、ツアー料金は現在最低水準にあるか、若しくは最低以下の水準にあると言える。

 資本主義社会の世の中では、いい物は例外なく高い。(高いからいい物だという逆説は成り立たないが)消費者だって、普段の日常生活の中で、そんな事は否応なしに理解している筈である。100万円以下の大衆車を買って、何でこの車はポルシェと同じスピードが出ないんだ、と文句を言う消費者はいないのに、どうして旅行だけは出来る限り安く参加して、最高のサービスを期待するのだろう。それは思い違いも甚だしい。
 確かにグレード差別のしにくい商品ではあるが、やはり高いツアーは洗練されたホテルを使っているし、食事にも気を配っているが、安いツアーではおざなりである。これは当たり前である事を筆者は強調したい。本当に快適な、サービスの行き届いた旅行をしたいと思うのなら、高いツアーに参加すればいいのだ。それが異常と思われる程に安いツアーに参加しておきながら、やれホテルがどうの、サービスがどうのと、文句を言う方の常識を疑ってしまう。

 筆者はドイツで生活する様になってから、社会の中に厳然と横たわる身分階級の存在に驚かされた。戦後の階級制度の廃止された日本に育った筆者にとって、これは一種のカルチャーショックだった。ヨーロッパの中でも特にイギリスやフランスに色濃く残る身分階級制度だが、ここドイツにも確かに存在しているのだ。ホテルにしてもレストランにしても、一般平民と上流階級とでは、全然違う所を利用しているし、それは所有する車や持ち物などにも色濃く現れている。
 断っておきたいのは「上流階級」とは、決して「金持ち」と同義語ではない、という事である。単にお金を持っているだけでは、上流階級ではない。こう呼ばれる為には、家柄、経歴、教育、財力の全ての条件が満たされる事を必要とする。こういう上流階級のドイツ人とつき合うと、「これが本当にドイツ人か」と思う程、一般平民とのギャップが大きい。言葉遣いも身のこなしも洗練されているし、何よりも決して驕る事なく、それでいて凛とした貫禄がある。
 こういった上流層が使うホテルやレストランには、一般平民は立ち入らない。別に入場禁止になっている訳ではなく、一般平民の中に「あそこは俺達が出入りする場所じゃない」という意識があるからなのだ。ここが日本と大きく違う所である。現在の日本には原則として身分制度はない。(但し、日本にも確かに「上流階級」が存在する事を筆者は知っている)国民総中流意識と言われ、自分がそこに出入りする人間かどうかを考えさせられる環境もない。昔の事はすっかり忘れてしまったみたいだ。確かに建て前としてはドイツにも身分階級制度はないが、古代ローマ時代からの長い歴史の中で、ヨーロッパ人の中にはそういった意識が現在でも色濃く残っているのである。

 ドイツ人は自分の身の程をわきまえた生活をする。一点豪華主義という考え方はほとんどドイツにはないと言っても過言ではないだろう。だから、平民はそれなりの家に住み、それなりの車に乗り、それなりの衣服を着て、それなりの所に出かける。たまには気分を変えて貴族が出入りする様なレストランでお食事、などという事は一般的にありえない。日本風に言えば、例えば六畳一間のアパートに住んでいながら車はBMWに乗っている、とか、普通の会社のOLがルイヴィトンのバッグを持ってご出勤、という事は、彼らにとっては考えられない世界なのである。ドイツでベンツやBMWに乗っている人は、やはりそれなりの人であるし、ロレックスの時計をしている人は間違いなく上流階級の人間である。

 日本ではよく「人を服装で判断してはいけない」などど言われるが、ヨーロッパでは間違いなく、人は服装や持ち物で判断される。筆者は仕事上、自分自身とはかけ離れた世界のホテルやレストランなどに出入りする機会もたくさんあった。特にバブル最盛期の頃には、金に物を言わせて、こういったホテルを泊まり倒すお客が非常に多かった。例えばこういったホテルのレセプションに行き、何か頼み事をしたとしても、すごく丁寧にやんわりと断られる。これは、そのホテルの人間が筆者の身なりを見抜いているからなのだ。こういったホテルマンは、非常に目が肥えている。だから、こういう場所に吊しの安物スーツなどを着て行ったら、もうこれだけでまともに相手にされない。筆者も最初は理由がわからなかった。単に若造だから馬鹿にされているのか、それともこちらのドイツ語が伝わっていないのか、位にしか考えなかったのだが、何年かしてこの事実に気づいて、初めて納得した。筆者の様な職業では、お客の不利にならない様に、ホテル側にある程度言う事を聞かせないとならない事もある。こういった場合に、みすぼらしい格好(と言っても、別にスーツに継ぎ接ぎが入っている訳ではなく、ごく一般的な日本のサラリーマンスタイル程度、と考えて頂きたい)で行ったら、仕事にならない。

 非常に悔しい思いをした筆者は、それから全身をブランド品で塗り固めた。時計はダイヤが光るロレックス、スーツやシャツはアルマーニ、ネクタイはエルメス、靴はバリー、そしてレセプションで何かに記入する様な場合にも、レセプションに備えつけられているボールペンではなく、スーツの内ポケットからさりげなくモンブランのボールペンを取り出して記入する様にした。(ロレックスやアルマーニよりも更に高価で格も上、という物もたくさんあるが、筆者の財政状況ではこれが限界であった)するとどうだろう、同じホテルなのに、以前とは全然対応が違うではないか。それがあまりに露骨なので、筆者は叉も驚いてしまった。筆者自身も「ちょっと難しいかな」と思える様な、お客のわがままなリクエストをレセプションの人間と交渉する様な場合、筆者は思いきり丁寧な言葉遣いで、更にこれ見よがしに、相手にもよく見える様に、カウンターの上にロレックスをはめた腕を置いて頼んでみた。すると、筆者も拍子抜けする程に、その頼み事はひどく簡単に受け入れられてしまった。これをお読みの普通の日本的感覚をお持ちの方には、何てイヤラシイ奴と思われるかもしれないが、現実はこうなのである。彼らは、その相手がまさかロレックスを買った為に貯金がゼロになった人間だとは夢にも思わないのである。
 こういう物を身につける様になってから、筆者の仕事は非常に楽になった。以前はよくホテルで馬鹿にされて、腹を立てていたものだが、それ以来こういった事は激減したのは事実である。

 日本人観光客は、本当にブランド物のショッピングが好きである。筆者自身も結構好きだから、これを批判する権利は筆者にはない。そして日本人は本当に良く情報を知っている。これはルイヴィトンの新しいシリーズだとか、エルメスの限定生産品だとか、こういった情報に関しては、恐らく世界で一番豊富な国だろう。しかし、一般のドイツ人はルイヴィトンはおろか、バッグで有名なドイツのブランド「ゴールドファイル」も、ホースヘアーで有名な「コンテス」も、自分の国を代表するブランド品なのに、全然知らない場合が多い。そういった物は、自分達には関係ない世界の物だ、と考えているので興味もないらしい。

 例外はあるものの、確かに高価なブランド品は品質が良い場合が多い。そして、値段が高い。特にドイツは安物買いの銭失い、という諺がピタリと当てはまる国で、ドイツには安くて良い物は全く存在しない。値段が手頃なものは品質がいい加減だが、高価なものは非常に良いものが多い。これには様々な国民性的背景があるのであるが、その説明は別の機会に譲るとして、結果的にドイツでは、最初に高価な物を買った方が、長持ちするので結局安くつく事になるのだが、ブランド品の場合は、確かに高価な宝石をふんだんに使っていたり、すべて手作りで人件費がかかっている、という理由の他に、わざと高くしているきらいもある。現にわざと高くして一般平民にはわざと買えない様にしているメーカーも多い。これはドイツ人を始めとするヨーロッパ人の中にも、若いミーハーな連中を中心に、無理してでも一流ブランド品を買いたいと思う新人類が現れてきた為と思われる。メーカーとしては、一生に一度買ってくれるかどうか、という顧客より、事ある度に買ってくれる上流階級層の顧客を大切に考え、彼らの威厳を損なわない様に、との配慮から、わざと毎年値上げを繰り返しているのである。

 こういったブランド品を扱うブティックへ行って、「まけろ」というとんでもない事を平気で言い出す日本人が多いので、馬鹿にされてしまうのだ。お店側は、そんな人間には買って欲しくないのだ。だから「売ってやっている」という態度に出る。ここに「お客様は神様だ」という日本の論理を持ち込むから、話がややこしくなるのだ。ブランド品を持ちたいという気持ちは分かる。しかし、こういう物を買うのなら、せめてその店では「上流階級の客」を演じて欲しい。

 ドイツではブランド品の店に限らず、一般商店にも「売ってやっている」意識が徹底している。だから、ドイツでは「まける」という考え方が全くない。定価なんてあってない様な東南アジアやラテン系の国々と違って、ドイツでは定価で買えないんだったら買うな、という論理になってしまう。これを理解していないお客が非常に多い。筆者のお客でも、ドイツの店でよくこの「まけろ」を言い出す人がいた。そういうお客を連れて行った場合は、帰り際に店員から「ああいうお客はウチの店には連れて来ないで欲しい」とハッキリ言われた事が何度もある。これ以上筆者の元同僚達に、恥ずかしい思いをさせないでやって欲しい。

 そもそも旅行自体が、昔は一部の上流階級にだけ認められたレジャーだった。だから、特にドイツは観光客に接する職業をしている人間には、必ずチップが必要なのだ。ガイドブックによっては「ドイツでは大抵の場合、勘定にサービス料が含まれているので、チップは必要ない」などと書かれているとんでもないものもあるが、それを書いた人間はハッキリ言って全然わかっていない。これに限らず、だいたいガイドブックほどあてにならないものもない。現地の本当の事情を知らない日本人が、日本的感覚で書くから、ああいったふざけた本が出来上がるのである。そういった本に書かれている事を鵜呑みにして来るお客が多いから、現場でとまどいと混乱が生ずるのである。

 客に給仕する立場の人間は、お客からチップが貰えるという事を前提に働いている。実際、上流階級の人達は、こういった給仕人に対しては破格のチップを今も渡している。こういう背景が基本にあるから、店側は給仕の基本給を非常に安く設定している。だから実際彼ら彼女らは、お客からのチップがないと、生活にも響くのである。おまけにドイツでは、非常にドイツらしく、彼ら彼女らの貰うチップは法的には立派な収入とされているので、この職種ならこの程度、という様に、みなし課税が行われている。だから、国から予め決められてしまった額以上にチップ収入があれば、それは非課税収入になるが、それに満たなかった場合は、実際の収入よりも多く課税される事になる。だから彼ら彼女らも必死なのだ。
 勘定に含まれている「サービス料」は、彼ら彼女らの基本給に当たる部分を補うものであって、「チップ」ではないのである。だからこそ、ただでさえ愛想のないドイツで、ちょっとでも感じ良く接してくれたウエイターやウエイトレスがいたら、彼ら彼女らにはチップを渡してやって欲しい。その反対に、あまりにも感じが悪かったら、絶対にチップは渡さないで欲しい。日本人は外国では「チップ」を渡すものだと固定観念を持っている人が多いので、例えサービスが良くても、反対に悪くても、ガイドブックに記載されている目安の金額を律儀に渡している人が多い。しかし、「チップ」はあくまで成績評価なのだから、良かったと思えば多めに、悪かったと思えば全く渡す必要はない。そういった柔軟性を持たないお客が非常に多いから、日本人観光客にに頻繁に接する機会のあるウエイターやウエイトレスは、こちらを馬鹿にして手を抜くのである。
 それでもまだ渡す人はいい。人によっては、たかだか100円程度のチップを渡すのを嫌がる人もいる。「何でコーヒー飲んだだけなのに、チップを渡す必要があるのか」と彼らは言うが、外でコーヒーを飲む、という行為自体が、元々は上流階級の人達が行う行為なのであるから、チップは必要になるのである。ドイツの論理で言えば「チップを払いたくないのなら、家で飲め」となる。旅行者は「家」では飲めないのだから、例え何をするにしてもチップはついて廻る。これを面倒くさいと感じるか、なかなか面白い習慣だと感じるかは人によって様々だろうが、「郷に入らば郷に従え」と言われる通り、嫌でもそういう環境にいる訳だから、その背景を理解した上で、積極的に実践して欲しい。極論すれば、たかが100円のチップでガタガタ言う様なお客は、ヨーロッパに来る資格がないのである。

 もう一つは、他人に対してお金を渡すのは失礼に当たるのではないか、という誠に美しい日本的感覚をそのままお持ちになるお客もいる。確かに日本では現金をそのまま渡すのは失礼に値する事もあるのは筆者も理解している。しかし、この考え方もヨーロッパでは全く反対である。ヨーロッパの論理では、礼を言っておきながら現金を渡さないのは、逆にその人を馬鹿にした事になってしまうのだ。彼らは、口で百回礼を言われるよりも、例え何も言わなくても10マルクもらった方が喜ばれているんだという事を理解する。
 よくツアーの最後などに、何日もつき合ってくれたドライバーに対して、礼を言っておいてくれ、とお客から頼まれる事がある。「私たちのドライバーさんは本当に良くやってくれたのでお礼を言いたいのだが、言葉がわからないし、お金を包むのも失礼だから、あなた(つまり筆者)からよく言っておいてもらえないか」と依頼される。しかしこれは翻訳出来ない。そのまま直訳すれば彼を侮辱した事になってしまうからである。こういった場合は何も苦労してドイツ語で礼を言おうなんて考えないで、ニッコリ笑って10マルク札を一枚渡してあげた方が、彼らはよっぽど喜ぶ。それも、わざわざのし袋やティッシュに包まないで、そのまま裸で渡せばいいのである。彼らにはのし袋の意味やティッシュで包む奥ゆかしさは絶対に理解出来ないから、変な気を遣う必要もない。

 この本のメインテーマである「正しい情報が日本には全然伝わっていない」現象は、もちろんお客だけを責められる問題ではない。どちらかと言うと情報を提供する側に問題があるという事は、いままで書いてきた通りである。高度な情報化社会が構築され、それこそ怒涛の様に情報が氾濫している日本社会であるが、その中から本当の情報を抽出出来るテクニックをもっと身につけて欲しいものだと思っている。活字になると疑う事をしない国民性は、そう簡単に変わるものではないだろうが、何も旅行業界だけの話ではなくて、世界中で起こっている様々な出来事に対して、往々にして日本がトンチンカンな対応しか出来ないのも、相手の本当の事情を知らないからである。だからまずあなたも、この本に書かれている事を全部信用してはいけない。もちろん嘘は書いていないが、筆者はこの本を執筆するにあたり、客観的事実を主観的に捉えて書いてきた。であるから、この本に書かれている事は、筆者というフィルターを通して見たドイツであり、旅行業界である。読者にとっては、今までに読んだり、聞いた事とずいぶん違う事が書かれているな、と感じられたと思うが、どちらが本当の事なのかは、読者の一人一人が自分で判断して頂きたい、と願っている。